会社の成り立ち(社長にインタビュー)

・創業者である父はもともと職人として様々な木工所を渡り歩いていた
・当時の給与体系は出来高制であった(1本作ったらいくら)
・子供(現在の社長)が生まれ、より生活費が必要になったこともあり職人の経験を活かして昭和41年5月に独立し創業
・初めは家の裏の竹藪の中に作業場(小屋)を作り、大工さんの下請けとして網戸や障子などを製作
・網戸や障子の需要がフラッシュドアや無垢のドアに移り始めた頃に先を見据えて当時は珍しかった設備投資を始める
・その後フラッシュドア・無垢のドアの規格品が主流になった為、機械設備が功を成し業績拡大したことで小さな町工場から発展した
・フラッシュドアの需要が増えていく一方で無垢のドアは需要が減少していく。理由としては玄関のドアが現在のようにアルミ・スチール製に変わってきたこと、フラッシュドアの方が安い・軽い・自由度が高い為、無垢のドアが大衆向けから高級志向になってしまったことが挙げられる。これらの流れから当社も会社を移転する際に無垢のドアを製作する設備を手放してしまった
・だんだんフラッシュドアも規格品から、デザイン性や様々なサイズに順応するオーダー品に切り替わっていき、約40年前から比率が体感で50:50程になっていく。
・それから数年して社長が30歳頃、規格品からオーダー品の製作に切り替えていく
・約20年前、バブル期も重なり都心の物件が増えると考え、ターゲットをマンション物件に切り替える。想定通り受注も増え、また他社よりも切り替えが早く先駆けて行ったためこの時期にピークの売り上げを上げ、物件の比率も8割がマンション物件であった
・段々ライバルが増え価格が下がり利益が少なくなってきたので、老健(老人ホームや保育園等の施設物)の比率を上げる方向に切り替えていく
・大量生産体制で会社が急に大きくなった為、職人(従業員)の教育が追い付かずクレームが多々発生した。当時は一人の職人が最初から最後まで一つの製品を取り扱う為、生産性も上がらず品質にもバラつきが出た
・そこで木工所では珍しかった作業を工程別に分けるためラインを導入した

会社の成り立ち

・創業者である父はもともと職人として様々な木工所に勤めていた
・もともとは出来高で販売していた
・子供(現在の社長)が生まれて、職人という経験もあったので昭和41年5月に会社創業
・はじめ網戸や障子などを販売
・木工屋さんや大工さんの下請け業者として仕事進める
・バブル時期もあり将来伸びると思ってフラッシュドアや無垢のドアをスタート

無垢のドアを辞めた経緯

・玄関のドアの主流がアルミになり売れ行きが低下
・それまでは無垢のドアが大衆向けであったが、フラッシュのドアのほうが自由度高い、軽い、安い、デザイン性高いなどいい点が増えた
・最初は規格品を作り始める。その後デザイン性のあるドアが売れるようになり、50%規格品、50%デザイン性のあるドアに移行
・現社長が30歳の頃、オーダー品に切り替えた
・こまえ市の住宅、500本が大きなきっかけに

沿革

昭和41年5月 創業
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